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日本における高等教育制度の特色

time 2017/03/25

 日本の高等教育は、喜多村によると(喜多村1999:81-5)、「初等教育」「中等教育」の次にある学校教育体系の最終段階を指すものである。現在でいうと高等学校終了以降の学校教育法第1条に規定されている学校を指す。この学校教育体系を3等分する考え方は、明治以降より続いている。施行されてはいないが、最初に明治3(1870)年の「大学規則」と「中小学規則」にあらわれており、明治5(1872)年の「学制」に「学校ハ三等ニ区分ス大学中学小学ナリ」と明示されるに至っている。なお、この時点では「高等教育」という言葉は明示されていない。喜多村によると、「高等教育」という言葉が初めて公的に明示されたのが、大正11(1922)年に発行された『学制五十年史』である。さらに昭和17(1942)年に発行された『学制七十年史』に高等教育は、「初等教育」「中等教育」の次の段階として構成された教育を指すことが定義された。なお、「初等教育」「中等教育」「高等教育」という区分は文部科学省の組織にも表れており、初等中等教育局、高等教育局という組織体系となっている。

 

 戦前の高等教育制度は、帝国大学や専門学校、官公私立大学など多種多様にあり、独自の進学系統が存在する構造であった。戦後の高等教育制度は戦前の構造のまま一律に多様な高等教育機関を「大学」に昇格したことにより、「高等教育」=「大学教育」という制度的概念を定着させた。しかし、その制度的概念も教育需要の高まりとともに、昭和37(1962)年の高等専門学校制度、昭和50(1975)年の専修学校制度により、「高等教育」=「大学教育」という制度的概念はくずれたのである。

 高等教育は、喜多村によると(喜多村1999:86-96)、「非大学型」の教育機関も含めた広範囲な制度へとなるにつれ、それまでの大学中心型の高等教育制度から、中等教育以後の段階における多様な教育機関における高等教育を指す「中等後教育」(post-secondary education)制度へと移行してきたのである。しかし、より広範囲な制度となった高等教育は、量的拡大ではなく、質的充実へと方向性を転換することとなった。その契機となったのが昭和50(1975)年の「私立学校振興助成法」である。「私立学校振興助成法」は私立学校への財政援助について法的根拠を与えるとともに、量的拡大を抑制し、学部学科の設置や定員の増加などに制約が加えられ、管理的な高等教育政策への転換がうかがえる。しかしながら、他方では高等教育の量的拡大を必要としなくなったわけではない。同時に成立した学校教育法の一部改正による専修学校制度や、放送大学、各種学校などを主体とする教育機会を昇格させることによって、教育需要の高まりに対応したのである。

「中等後教育」(post-secondary education)の視点にたった現在の高等教育制度の概念は、次のように示すことができる。

(1)学校教育法に規定されている学校によって提供される教育

(2)入学資格要件として、高等学校の卒業や大学入学検定試験

(3)2年以上の修業年限と一般教育と専門教育を有する教育課程

(4)課程を修了することにより、一定の資格や学位を取得することができる

(5)中等教育以後の組織的な教育

 具体的には学校教育法第1条で規定された大学・短大・高等専門学校(4・5年生)のことを指す。また、(5)中等教育以後の組織的な教育では、「継続教育」(省庁大学校・放送大学・専門学校・職業訓練施設・各種学校など)、「生涯学習」(社会通信教育・図書館や美術館における教育機会など)の教育機会のこと指す。このように現在の高等教育制度は「高等教育」「継続教育」「生涯学習」の3つの教育機会と、多種多様な教育機関によって構成されているのが特色と考えられる。

 

引用(参考)文献

喜多村和之,1999年,『現代の大学・高等教育』玉川大学出版部

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